伊坂幸太郎「仙台ぐらし」
伊坂幸太郎が仙台のローカル紙で連載してたコラムのまとめ。
伊坂節というか、肩の力が抜けた話ばかり収録されています。
頭の良い人間のエッセイはテーマが無くても読ませるものがある。
クライヴ・バーカー「ゴースト・モーテル」
血の本4作目。
自分の手が勝手に動いて金玉を握りつぶす話が怖かったです。
ジョナサン・サフラン・フォア 「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」
911をモチーフにしてるけど、もっと普遍的な人間の悲しみを描いた作品でした。
物語に沿って挿入される写真だとか、視覚に訴える工夫が印象的。
混乱した登場人物による乱れた語り口など、言語化できない感情を描写することに主眼が置かれています。
だからこの本はあまり言い切るということが無くて捉えがたい結末を迎える。
全ての感情が言葉に出せる訳じゃないし、掬い取れない細かな感情の機微を描くにはこうするしか無かったということでしょう。
表現の可能性を感じる1作
ジャック・ケルアック「オン・ザ・ロード」
ビートジェネレーションのバイブルとして愛される名著。
小説とも散文詩とも取れる独特の言語感覚が魅力的でした。ビートって何なのと聞かれてもこーゆーのだよと言うしかない。
旧題の「路上」も良かったんだけど、原文の「On the Road」は複数の意味がかけられているのでこっちのが正確ではある。
ロードとは道であり途上でありタオなのです。
読んでて胸に去来するのは荒野のイメージで、これがアメリカ人の心象風景なんでしょう。生きることは動き続けること。道を行くこと。
テリーに、行くよ、と言った。
葡萄畑でぼくにそっけなくキスをすると、葡萄の列のあいだを歩いていった。
おたがい十二歩進んでから振り返った、愛は決闘だから。これが最後とばかりに見つめあった。
フレドリック・ブラウン「さあ、気ちがいになりなさい」
古き良きSFでした。すこしふしぎ。
どことなく星新一なフィーリングがあるのは星先生が翻訳したからだけでなく、星先生自身も影響受けたということでしょう。
・電獣ヴァヴェリの叙情性
・帽子の手品の不穏さ
・表題作のスケール
と懐の深さを感じます。他の作品も読んでみたいな〜と思いました。
法条遥「リライト」
あらすじ
過去は変わらないはずだった―1992年夏、未来から来たという保彦と出会った中学2年の美雪は、旧校舎崩壊事故から彼を救うため10年後へ跳んだ。2002年夏、作家となった美雪はその経験を元に小説を上梓する。彼と過ごした夏、時を超える薬、突然の別れ…しかしタイムリープ当日になっても10年前の自分は現れない。不審に思い調べるなかで、美雪は記憶と現実の違いに気づき…SF史上最悪のパラドックスを描く第1作。
疲れる小説でした。
タイムバラドクス物ってどれも思考がループするけれど、本作は疲れさせること自体が目的になってるような。
捻りに捻ったプロットを立てるにあたってモデル図だったり用意したことを想像させます。読む価値はある。
閑話休題。
ところで伊藤計劃や円城塔といったこの年代のSF作家は認識論や存在論に軸足置いてて文学的な前進を感じるんだよね。
保守に凝り固まった文壇の連中より重要なことやってると思うし、本来こういうのが現代文学として取り上げられるべきと主張したいですまる
リライブまで読むと何らかの感動があるらしいんだけど疲れるから読みません。