おれん家の本棚

音楽・映画・書籍なんかのテキトーな感想。フツーにネタバレする。

Factory

1976年6月4日英国マンチェスター、かつて産業革命の中心地として知られたこの街は英国病の煽りを受け深刻な不況にあえいでいた
次々と工場が閉鎖されていく中、無名の新人バンドが小規模なライヴを行う事になる
集まった観客はわずか42人、誰の注目も集める事なくライヴは始まった
バンドの名前はセックス・ピストルズ
そしてそこにいた面々の多くがこの日を境に音楽の道に進むことになる
前座のバズコックス、後のジョイ・ディヴィジョンの面々、モリッシーザ・スミス)、マーク・E・スミス(ザ・フォール)、ミック・ハックネル(シンプリー・レッド)、マーティン・ハネット(U2のプロデューサー)、ポール・モーリー(ZTTレコードの創始者)、そしてトニー・ウィルソン
有り体に言ってしまえばその後のロック界を牽引する面子の多くが揃っていた訳だ
これが所謂「パンクの伝説」だったりする

当時TV司会者だったトニー・ウィルソンセックス・ピストルズに感銘を受けレコード会社の設立を決意する
レーベル名は「Factory」というそのままの物だった
美大生だったピーター・サヴィルをデザイナーに迎え、全てのレコードのデザインを担当させる事により統一したビジュアルイメージを作り出したは特徴の一つである
また、その発表する作品にはカタログ番号(FAC 1、FAC 2…)が付与されていたことでも知られる
「ファクトリーは何も所有しない。すべてはアーティストに帰属し、好きなときに去ることができる」
そう血で書かれた契約書が額縁に入れられ飾られていたように、明らかに営利主義と迎合しなかった姿勢も特筆に値するだろう
例えば同レーベル所属のバンド、ニュー・オーダーが出したシングル「ブルー・マンデー」はジャケットのデザイン性に拘った為に費用がかさみ、1枚売れるごとに2ペンスの損失を出したという考えられないエピソードが残っている
これは世界一売れた12インチ・シングルとなった

Blue Monday


1982年にはクラブ「ハシエンダ」をオープン、英国ドラッグカルチャーの発信地として今も悪名高いものがある
90年代になると放漫経営がたたり経済状況が悪化、契約バンドのハッピー・マンデーズがレコーディング費用をドラッグに注ぎ込んでしまったため破綻が決定的になる
そこで買収にやってきたメジャーレーベル担当者の「レコードの権利書は?」の問いに「そんなものないよ」と返したことで倒産の運命は決まったのだった
1992年、ファクトリーはその歴史を終える
だが、この時には既にポップカルチャーの中心地としてマンチェスターは花開いていた
2007年8月10日、多くの人に惜しまれながらトニー・ウィルソンはこの世を去った
その棺には「FAC 501」と刻まれている

Here to stay


Regret



主人公は今は亡きトニー・ウィルソン
いや、マンチェスターそのものなのかもしれない
ピストルズのギグから始まった熱狂が街を揺らし始めるまでが描かれる
この伝説がこれ程までに多くの人の心を捕らえて離さないのはきっと
そこにジョイ・ディビジョンがいたから
そこにニュー・オーダーがいたから
そこにハッピー・マンデーズがいたから
そこにファクトリーがあったから
そこに理想があったから


マンチェスター共和国の終焉
アルバムタイトルは如実にそれを物語っている
最早ファクトリーは崩壊し、音楽の中心地はマンチェスターを離れた
それでもまだ続くものがある
アルバムとしては相変わらず気の抜けたような作品だが最高傑作とされる事も多い「Regret」が収録されている
これは生涯レベルの名曲であり、最高の輝きを残したと言えるだろう

何も後悔する事なんかない