おれん家の本棚

音楽・映画・書籍なんかのテキトーな感想。フツーにネタバレする。

朝井リョウ「桐島、部活やめるってよ」



映画見てから読んだのであっさりした印象でした。
人間関係が淡白で最後まで相互理解は得られない。
僕は実質朝井リョウなのでこの感覚分かるな〜と思います。
他人の心情は理解不能ということ、自分が何者であるかは自分で決めないといけないこと

朝井リョウ「時をかけるゆとり」



直木賞を取っていないことを除けば実質朝井リョウなので読んでみました。
さくらももこの延長線にあると思うんですけど、ブログ的というか、あまり敵を作らない書き方の印象です。
冷静に観察して目的に向かって飄々と行動する。
これがインターネット世代、ボクらの時代

チャールズ・ブコウスキー「町でいちばんの美女」

ホモ率が高い。。。



どの話もバイオレンスと下ネタまみれで悪ふざけている。
明らかに旧き良きアメリカ文学との間に断絶があって、露悪趣味とも取れる厭世観は大戦を経てのものかもしれない。
計算してのものではないだろうが「白いあごひげ」には特に戦争の影が色濃く出ている。
アメリカという国は常にどこかで戦争をしているのだ。
意外と文章は冷静で、ビートニクというのはありきたりの狂気を生き延びようとする運動だったのかもしれない。しらない。

「愛してるよ」
彼は少しのあいだ彼女といっしょに波間にゆれた。静寂があたりを支配した。時間のまっただなか。そして時空をはるかに超えた時間のなか。

ミヒャエル・エンデ「鏡のなかの鏡―迷宮―」



「バベルの図書館」を始め言葉によって形而上学的な概念を描き出す試みは昔からあって、本作はそうした流れに位置する実験小説と思われる。
タイトルの通り夢を舞台にした意識の可視化が主題となっていて、物語として面白いかというと好き好きではあるが、こうした実験精神に面白みを感じる人はどうぞ。
確かに迷宮感は凄かった。頭良い人にしか書けなかろう。

「だれも推し量ることはできないんです。希望を失ってしまったら、悪がどこまではびこるものやら…」

津村記久子「エヴリシング・フロウズ 」

成長の物語



津村記久子という書き手に対する信頼が僕にはあって、
それは作者が立脚する価値観、世界観が正しく在るべきものと感じるからだ。
解説でも触れられているように、彼女はラベルを貼って物事を分かった風に誤魔化さない。それと同時にキャラクターの心情を誤魔化すこともしない。
主人公たちは正しく世界を認識したうえで、正しい行動を、在るべき心の持ち方で選択する。
だから彼女が書く物語は強い力を持ち、読み手を勇気付けるのだろう。
地味にヘタウマな挿絵も良い。

まだ小さい彼が、親にも口止めされるような不当な暴力に晒されているとして、自分は何かやるだろうか。
いやいやながら。たぶん、いやいやながら。しないといけないことだから。そこから逃げたら、たぶんまともな大人になれないから。一生後悔するから。

チャールズ・ブコウスキー「パルプ」



パルプ小説のパロディとして書かれた本作。
B級にB級を重ねているので訳が分からない筋立てとなっている。
それもブコウスキーらしさというか、ブコウスキーのグダグダさが好きな人には堪らないのかもしれない。
僕はどうでも良かったです。