おれん家の本棚

音楽・映画・書籍なんかのテキトーな感想。フツーにネタバレする。

又吉直樹「火花」

持続するか分からないけど、少なくとも火花を書いた時の又吉直樹は天才だった。



芸人が書いたという話題性抜きに素晴らしい本でした。
努力が報われない、正しいことが通らない、かもしれない。それは青年期を通して誰もが学ぶことだと思う。
あれほどあったはずの時間が流れ去ろうとしていることに気付いた時の焦燥感。
それでも覆そうと、抗おうと、成そうと、刹那に生きる姿がどれほど美しく愛おしいことか。
火花に共感し感動できるなら、僕らにもきっとまだ炎が残っている。

レイ・ブラッドベリ「刺青の男」

刺青が語り出すって設定はコンセプト勝ちですな。


あらすじ
暑い昼下がりにもかかわらず、その男はシャツのボタンを胸元から手首まできっちりとかけていた。彼は、全身に彫った18の刺青を隠していたのだ。夜になり、月光を浴びると刺青の絵は動きだして、18の物語を紡ぎはじめた…。流星群のごとく宇宙空間に投げ出された男たちを描く「万華鏡」、ロケットにとりつかれた父親を息子の目から綴る「ロケット・マン」など、刺青が映しだす18篇を収録した、幻想と詩情に満ちた短篇集。

ブラッドベリって短編の作家だと思うんですよね。火星年代記にしても実質は連作な訳だし。
冗長にならない簡潔さで鮮やかに一編を切り出す手腕が秀逸。
紛らわしいんだけど本作には「ロケットマン」と「ロケット」が収録されていて、最後に配された「ロケット」が出色の出来でした。
夢があって心があって愛がある。読んでね!

西加奈子「漁港の肉子ちゃん」


あらすじ
男にだまされた母・肉子ちゃんと一緒に、流れ着いた北の町。肉子ちゃんは漁港の焼肉屋で働いている。太っていて不細工で、明るい―キクりんは、そんなお母さんが最近少し恥ずかしい。ちゃんとした大人なんて一人もいない。それでもみんな生きている。港町に生きる肉子ちゃん母娘と人々の息づかいを活き活きと描き、そっと勇気をくれる傑作。

肉々しい物語でした。肉子だけに。
割と悲惨な現実を悲観することもせず、力強く生き抜く肉子ちゃんには人間賛歌を感じる。
解説も含めて、僕たちの生きる現実を肯定してくれる、読者1人1人が肉子ちゃんになれる、そんな優しさに溢れた小説でした。

「肉子ちゃん。」
「大好き。」
「ばああああああああああああああああああああっ!」
あんまり醜いものだから、私は思わず、肉子ちゃんから、目を逸らした。

杉浦日向子「百物語」

特に怖くはない


あらすじ
江戸の時代に生きた魑魅魍魎たちと人間の、滑稽でいとおしい姿。懐かしき恐怖を怪異譚集の形をかりて漫画で描いたあやかしの物語。

杉浦日向子はストーリーというより空気を描く。
この作品世界が息づいている感覚は、近年だと森美夏にも通じている気がする。
上手いとは言えないまでも線の一本一本にこもる説得力。
けしてコマーシャルではないこの作品が、今もって広く支持されることが、百物語が生き続けるということ。

高野秀行「未来国家ブータン」

あらすじ
「雪男がいるんですよ」。現地研究者の言葉で迷わず著者はブータンへ飛んだ。政府公認のもと、生物資源探査と称して未確認生命体の取材をするうちに見えてきたのは、伝統的な知恵や信仰と最先端の環境・人権優先主義がミックスされた未来国家だった。世界でいちばん幸福と言われる国の秘密とは何か。そして目撃情報が多数寄せられる雪男の正体とはいったい―!?驚きと発見に満ちた辺境記。

ブータンという国はイメージが先行してるところがあるので実際現地に飛んだ著者の感想は中々タメになりました。
本書を読み終わる頃にはアジア的な素朴さとしたたかな国家戦略を備えた全貌が明らかになります。
正直、言うほど幸せな国ではない。
悲喜こもごもな顛末は起承転結がハッキリしている訳ではないけれど、旅行記の醍醐味を味わえる一冊でした。


教育水準が上がり経済的に余裕が出てくると、人生の選択肢が増え葛藤がはじまる。自分の決断に迷い、悩み、悔いる。不幸はそこに生まれる。

下園壮太「自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れを取る技術」



精神的マッチョになろうと思って読んで見ました。
要約すると「精神活動もエネルギーを消費するから休んだり計画建ててコントロールしよう」ということになります。
メンタルの問題は自分でも把握しづらいため、こうした本を読んで客観視することが大切だと思いました。

カラマーゾフの兄弟を読み終わって

重厚長大という前評判に気後れしたものの、読んでみるとめっちゃエモかったです。
ドストエフスキーはちゃんとエンタメしてるのが良い。
2部構想で未完なのでストーリーの寓意が判然としきらないんですけど、以下私見。

・ストーリーラインは①ミーチャの受難②イリューシャの死の2本。特に②の方はサイドストーリーではなく柱の1つではないか。
・聖書、特にキリストの死がベースになっている。全編を通してキリスト教価値観での罪と愛が殊更に強調される。
・超自然的な現象、宗教的な奇跡は明確に否定される。心の在り方として信仰を定義。
・キリストと重なるようにしてミーチャとイリューシャは受難する。何を贖うのか、そもそも何かを贖わなければいけないのか再三に渡り議論される。2人は共に父親のために十字架を背負う。
・主人公アリョーシャが2人の犠牲に意味を見出したところで物語は幕を閉じる。結末に着目すると愛のための行動にこそ人間性=善性が現出すると読み取れる。罪のための犠牲ではなく、愛のための犠牲。他への思いやり、協調、そうした全て。

多分、作者は無償の愛を書きたかったんだよ。